努力は報われると思っている人はダメですね。努力を努力だと思っている人は大体間違い。(さんまの名言)
「努力は報われると思っている人はダメですね。努力を努力だと思っている人は大体間違い。」
「好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええねん。これが報われるんだと思うと良くない。これだけ努力しているのに何でってなると腹が立つやろ。人は見返り求めるとろくなことがないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね。」
「努力することは尊いこと」
「努力すれば必ず夢はかなう」
小学校の道徳教育の中でなら通用するかもしれないが
大人の社会、スポーツや芸能界においては
ある意味無責任な言葉だ
いくら努力したと主張しても
結果を出さなければスポーツでも芸能界でも
一般の仕事の世界でも評価されない
努力の量で給料査定されるわけではない
「努力なんてしてません。なんとなくやっているだけです。」と言っていても
結果や実績を出しているのであれば、それが勝ちであり評価だ
悲しいけど現実だ
いくら頑張っていると主張しても
仕事がまったく出来なければ高い給料をもらう評価を得ることはできない
逆にたいして仕事も出来ないのに高い給料をもらっている人もいるだろう
そういった人たちと自分の努力を対比してしまうからこそ
妬みや悔しさが込み上げてきてしまう
それは明石家さんまが言うように努力ということに固執してしまっているからだ
見返りに固執してしまっているからだ
芸能界においても芸人の世界においても
演技や歌や芸の実力がないと言われても
お客を呼ぶことができる人が勝ちだ
収益という効果をもたらす実力があるということだ
労働には給料という対価があり
それで人々の生活が成り立ち
社会は成り立っている
努力には対価がないし基準も明確ではないが
「何かのため」の努力には目標があり目指す結果があるからこそ頑張ることができる
だが「ただ好きでやっているだけ」は本人は努力とも思ってもいず
没頭して楽しくやっているだけだから
人との対比においての嫉妬や悔しさもない
好きにかなうものはない
自分では努力して頑張っていると思っていても
他の人が努力とも思わず自分の倍以上のことをやっていたら
敵うはずがない
そして努力の方法が的外れだったり
目的にそぐわない事を一生懸命やっていたら
そりゃ太刀打ちできない
明石家さんまは笑いに関する舞台裏の努力をテレビで公開するドキュメンタリーを快く思っていない
お客さんには関係ないことと思っている
僕はなかなかこの境地には至らない
努力は認めてほしいし褒めてほしい
努力している姿を褒めてほしい
努力すれば夢はかなうと思いたい
でも実際の人生は残酷だ
現実社会は残酷だ
大谷翔平からは努力してきたことを声高らかに主張しているイメージはない
ただ自分が目指す野球に到達するために
何をやるべきかを考えそれを実践してきただけだろう
そして何よりも野球が大好きという気持ちが漂って来る
やはり人生という長いのか短いのかわからない旅の中で
寝食忘れて没頭できる好きな事に出会えることはとても幸運なことなんだ
「努力」と「幸せ」はリンクしているわけではない
しかし
「努力」と「好き」はリンクする
そして
「好き」と「幸せ」もリンクするはずだ
人間が本当に愛するものを見つけるのはとても大変なことで、それがすべて、要するに人生の中心だと思うね。一生かかっても、ついにそれが見つからない人も多いと思うんだよ。だけど、ドアが閉まっていても、いつかは絶対に自分の好きなものが見つけられると、そういうふうに導かれているんだと信じることだね。だいたいは、どこもかしこも閉まっていると絶望的になっちゃうんだよ。だけど、あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。その開いたドアが、自分のいちばん求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。そこへ入る、またドアが全部閉まっている。必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。そういうところをひとつずつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ。
『イリュージョン』(リチャード バック著)