さんまのチカラ

今までの人生で辛いことがあった時に 少しでも笑いたくて憧れて追いかけてきた

自分を過信せず人に嫉妬もせず人の悪口も言わない  サウイフモノニ ワタシハナリタイ

明石家さんまのいわゆる数ある名言と言われる言葉の中で

「自分を過信しない」

という言葉に僕は一番衝撃を受けた

名言と言っても難しい単語を使っているわけでもなく
秀逸な比喩表現でもない
普通の一般的な表現だ

でもだからこそ今まで見過ごしてきたというか
気付かぬふりをしてきたというか
自分の弱さに目を背けてきたというか
才能の違いを認めたくなかったというか
自分の努力の足りなさを見ないようにしてきたというか

とにかく、ハッとさせられた

自分だって環境が整えば出来る
少し頑張れば自分だって出来る
時間があれば自分も出来る・・と

いつも言い訳を用意してきていた

でもさんまが言うように
その時の自分が常にピークで
その時の力が自分自身の能力にすぎないということなんだ

背伸びしたってせいぜいつま先立ち程度だ
大きく見せようとしたって
所詮空威張りだ

いつだってその時の自分自身でしかない
言い訳にすぎないことを認めたくなかった

自分の力なんて自分が一番わかっているはずなのに

 

そうだ、自分を過信しているからこそ
あの時もっと出来たはずだと後悔もするし
人に負けた時は自分のほうが出来るはずだと悔しい思いをする
その時の自分の実力だと素直に受け入れて
自分を過信しなければ
人との優劣にこだわり
人に嫉妬することもない

でも実際には人の生活や人生や才能に嫉妬し
気に食わない人の悪口も口にしてしまう


自分を過信せず
人に嫉妬もせず
人の悪口も言わない
そういう者に僕もなりたい

明石家さんま
愚痴めいたこと
言い訳じみたことを言っているのを聞いたことがない


もしかしたらどこかでは少しぐらいは言っているのかもしれないが
一切そんな匂いはしてこない


常にお笑いとして道化を演じ
お調子者を演じて
平易な言葉で核心をつくことを言う

それが
たまらなくかっこいいのだ

 

雨ニモマケズ
風ニモマケズ・・・
宮沢賢治の有名な詩にあるように


ジブンヲカシンセズ
ヒトニシットモセズ
ヒトノワルグチモイワナ

サウイフモノニ 
ワタシハナリタイ

  

 

笑いは人生のライフライン

能登半島地震の復興が遅々として進まない地域がある
一刻も早く復旧することを願うばかりだ

水道・下水・飲料食料の供給と確保
トイレ・お風呂・電気・道路整備などの交通環境
日常生活を送る上で必須の設備がライフライン


「災害時には俺らの笑いの仕事は何の役に立てられへん
最低限の生活が成り立つようになってから
やっとみんなを笑顔にするお手伝いが出来るようになるんや」

そういった意味合いの明石家さんまのコメントをラジオで聞いたことがある

エンターテイメントの仕事は確かに生きて生活していくために
第一に必要かといえばそうではない

人間はまず水分を補給し食料を摂取して
雨風をしのいで休める場所
そして寝る場所
お風呂やシャワーで体を洗う環境があって
初めて生活の基盤が出来る

それからやっと食事に自分の好みを反映させて
好きな物を食べて
お酒を飲んで
おやつにデザートと
嗜好品に手を出せる

エンターテイメントを楽しむ余裕ができるようになるのも
ライフラインが整ってからだ


テレビ・ラジオ・ゲーム
インターネット・配信・SNS
映画・観劇・スポーツなども
ライフラインが確立されないと何も始まらない


物理的な環境とは別に
人の感情に最低限のライフラインがあるとすれば
なんだろう

喜怒哀楽だろうか

安らぎだろうか
興奮だろうか
微笑むことだろうか
泣くことだろうか
家族の愛情だろうか
人を愛することだろうか
自分を愛することだろうか


怒ることがないに越したことはない
妬むことがないに越したことはない
恨むことがないに越したことはない
いわゆる負の感情は人生のライフラインに必要だろうか

怒りや誰かへの恨みを糧に
生きるエネルギーが生まれてくることもあるのかもしれないが
それは幸せとは言い難い気がする

喜びはあったほうがいい
楽しみはあったほうがいい
これらは人生のライフラインに必ずあったほうがいい

人はみな老いて死んでいく
そこには哀しみと切なさが必ずつきまとう
それは誰もが避けることはできない


人生における感情のライフライン
喜びや楽しみのはずだ
そこに笑顔は必ずついてくる


笑顔と笑いは
人生の
人間の
ライフラインのはずだ


明石家さんま
多くの人の人生に楽しさと
笑いと喜びと笑顔を
振りまいている

人生のライフラインを支えてくれている


少なくとも
僕にとってはそうだ

 

明石家さんまは「笑い」には厳しいが「人」には優しい

 

明石家さんまは「笑い」には厳しい

「ここは戦場や!」
収録現場や舞台を指して、さんまは言う

さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ)では、怖がってか単に嫌なだけかわからないが、この番組の出演オファーがあっても断る中堅・若手芸人もいるくらいだ


長年近くにいる間寛平村上ショージ曰く
お笑いに関しては厳しく怒ったりもするが
その他の仕事以外のことで怒ったところを見たことがないという

他の芸人や会社から半ば見放されていたジミー大西
あそこまでキャラクターを引っ張り出して
人気者へと育てたあげたのは
明らかに明石家さんまの許容力のなせる技なのだ
一つのギャグをマスターさせるのにも何か月もかかったという

写真週刊誌の取材も
「対応するのは面倒やけどあいつらも仕事やからなあ」と
大雨の日には自分の車に乗せてあげて取材を受けたこともあるという

そして写真週刊誌の新人記者の研修に使われるらしい
「さんまさんの取材が出来ないようならこの仕事は向いていない」と判断される
それだけ明石家さんまの対応が優しいことを示している

闇営業問題において吉本興業を辞めた『雨上がり決死隊』の宮迫博之にも手を差し伸べて自分の舞台にも出演させている
かといって宮迫だけの味方をしているわけでもなく吉本興業の会社としての見解と立場にも理解を示し
最後の最後まで『雨上がり決死隊』が解散に至らぬようにと蛍原の立場や想いも尊重しながら見守っていた

SMAP解散時にもさんまは木村拓哉との親交が深いからといって木村拓哉が正しいとか味方とも言っていなくて
「どっちも正しい」とたしかラジオで言っていた

明石家さんまプロデュースの『Jimmy〜アホみたいなホンマの話〜』(Netflix)では
小出恵介のスキャンダルにより配信2週間前に公開延期となり
再度すべて撮影し直す事態になったにも関わらず
恨みめいた言葉は聞いたことがない
それどころかアメリカにいる小出恵介を訪ねて一緒に観劇や食事をして激励をしているくらいだ

まあ明石家さんまは誰にでも優しいというわけでもないと思うが
少なくとも自分と関わった人たちに最大限に優しいのだ
考えに同調するのではなく
安易に同情をするわけでもなく
相手を許容して受け入れるというか受け止めるのだ
それぞれの考えと行動を尊重して許容をするのだ


小出恵介は未成年女性との飲酒と不適切な関係
宮迫博之は闇営業

その他いろんな芸能人のスキャンダルがあるが
どれも良いこととは思わないが
社会的に失墜されるほどの大きな悪事なのだろうか

被害を与えた人や迷惑をかけた相手には十分な誠意ある対応がもちろん必要だろうが
それほど叩かれるようなことだろうか
世間なんて年月が経てば「そんなこともあったっけ?」程度の記憶でしかない
昨今の政治家の所業のほうが余程酷い悪事ではないか


僕は犯罪や不祥事は他人事ではないと思っている
お酒に酔った際にもし自分の好みの素敵な女性に言い寄られたとしたら
欲望を制御できるという絶対的な自信などない

もし自分の大切な人が誰かに故意に傷つけられたりして
加害者に対して強烈に憎しみを抱いた時に
絶対に自分を制御して聖人君子みたいにできるという確固たる自信はない

明日の食べる物さえ無い状態に追い詰められた時に
人の物を盗んでしまうことが自分にもあるかもしれないと思っている

犯罪を擁護しているわけでもないし
罪がないと言っているわけでもない

自分もいつ同じ境遇になるかわからないし
自分は絶対に犯罪者にはならないという言い切る自信はないということだ

それだけ自分は弱い人間だと思っている


明石家さんまの優しさは許容するチカラだ
人を受け入れるチカラだ
自分とは違う人間もいると理解するチカラだ
人は間違いを時には犯すこともあると許容するチカラだ


明石家さんまは笑いには厳しく中堅若手には怖い存在だとは思うが
人を許容するチカラが半端なく大きいのだ

明石家さんまは人間には優しいのだ


大きな大きな父性で
大きな大きな笑いで

そして自分の背中と行動で周りを照らすのだ

 

倍速でなんて見られない

明石家さんまの『心はロンリー気持ちは「…」FINAL』(フジテレビ)が21年ぶりに放送される
このドラマは男女の恋愛が基本テーマだが、見どころはエキストラやセット、背景などの部分でストーリーとは関係のないギャグをふんだんに織り込まれているところだ

www.fujitv.co.jp

先日のナイティナインのオールナイトニッポンでの撮影がどういったシーンに組み込まれて編集されるのか楽しみだ

昨今の番組制作費の減少とコンプライアンスの問題、動物愛護の問題など
昔なら可能だった設定やギャグの多くが現代では制限と制約が多く
出来なくなった表現が多いらしい

どちらがいいか悪いかは一概には言えないが
表現の幅がどんどんせまくなってきている現状には
80年代90年代の破天荒な設定の番組を見てきた僕たち世代には寂しい限りだ

今の若い世代にこのドラマがどういった評価を受けるのかが気になるところだ

今の若い世代は倍速でドラマや映画を観る人が多いらしい
倍速で見たらこのドラマの細かい小ネタやギャグを見落としてしまうよ

現代はSNSのチェックもしなければならないし
流行の音楽情報や文化・アニメ・漫画・ゲーム・ファッションなど
コンテンツが大量にあって一つのテレビドラマに集中する暇もないんだろうな

倍速で情報だけ表層的に頭に流し込むだけなら
いっそのことこっちは見ないで、こっちをじっくり見てみようとしたほうが心に残るのではないか
まあ、それも若者からすれば大きなお世話なのだろう


情報過多でコンテンツが豊富な現代は
エンタメは選び放題だ
大抵のことは検索すればとりあえずの情報は入手できる
でもウィキペディアも正確とは言えないし
情報サイトも他からの引用やコピペだけで作成されているサイトは山ほどある

書店や古本屋で目的の本を自分の足で探し回る必要もないし
図書館で必死に調べることも少ないだろう
情報の多様化と大量のコンテンツが溢れるこの世の中で自分に合った情報をピックアップするためには仕方のない方法なのかもしれない
昭和で思春期を過ごし平成で社会に出た僕たち世代との隔たりを感じる

しかし、僕らはあれもこれもたくさんの情報が必要なのだろうか

簡単に手に入れた情報は簡単に忘れていく
溢れる情報は単なる流れゆく風景となっていく

でも自分が必死に探し回って何度も何度も見たり読んだり聞いたり調べたりしたことは
簡単には忘れない

本当に知りたいと願って得た情報と
取り合えず流行として頭に入れておこうとした情報とは
心への落とし込みの深度に雲泥の差がある

 

50歳を過ぎてからは特に
今の旬の話題や若い子たちの流行に疎くなりついていけなくなってきた

でも若者とのギャップなんて昔からあることだ

メソポタミアのシュメール文明の遺物(粘土板)に
「近頃の若者はなっていない。実に嘆かわしい時代になったものだ」
のような文章が残っていたそうだ

人間なんて変わらず
歴史は繰り返していくもので
世代間ギャップなんて無くなりはしないのだろう

手段や方法などツールは変われど
人の心なんて昔とたいして変わらない

若い頃は人生なんて
無限にあるように感じていたが
今はこの先の残りの人生に限りがあることを強く意識するようになってきた

 

喜びも
悲しみも
笑いも
感動も
きっと世代を越えていくもののはずだ

 

 

 

仕事は需要と供給、上も下もない

 

「県庁はシンクタンクです。毎日毎日、野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノをつくったりということと違って、皆様は頭脳、知性の高い方です」

先日の静岡県知事の新入職員への訓示の中での発言が問題になった

第一次産業への職業差別との批判があり、結果的に辞職する結果となった
シンクタンクである県庁に勤めることができる人たちが頭脳的に優秀であることに異論はないが
それは少なくとも新入社員の時点ではあくまで机上において数字や言語を駆使する能力が優秀なだけだ
仕事のノウハウを身に付けるためのスタートラインにすぎない

農業・漁業・林業・畜産業においては
天気や大雨に対する予測や風の動き、地質の理解など自然を相手にした対策は机上の学問だけではノウハウなど身につかないし、検索して簡単に調べただけで仕事に活かせるほど簡単で生易しいものでもない


職業は得意不得意、適正不適正があるだけで
職業そのものに上下関係などない
大事なのはその仕事が好きかどうかと誇りを持って携わることができるかどうかだ


組織のTOPになり
その地位と責任を意識して
誇りと自信を持つことはとても重要なことだが
組織なんて
上の者がいなければ下の者はまとまらないし
下の者がいなければ上の者は成り立たない
部下が居なければ上司や長の存在はそもそも成り立たない

地位に捉われ
地位にすがりつく者は
地位に最後に裏切られる


すべての仕事は需要があってこその供給だ
組織には上下関係は必ず必要になってくるが
職業に上下関係も貴賤などない

牛や豚を食用として育ててくれる人たちがいて
そして屠殺(とさつ)する人たちがいてこそ
僕たちは美味しいお肉を食べることができている


芸能人や芸人だって同じだ
応援してくれる人たちがいなければ成り立たない
笑ってくれる人たちが居なければ成り立たない


国民を笑いに包む芸人がいれば
それを観て笑う人たちがいる

笑う人たちはほとんどが名もなき無名な市井の人たちだ

製造工場のラインで働く人
ショップやスーパーの店員
工事現場の人
警備をする人
運転をする人
事務作業をする人
畑仕事をする人
畜産をする人
漁業をする人
お酒を提供する人
接客する人
医療に従事する人
物流に関わる人
製品を作る人
製品を考える人など

そんな人たちが日本を支えている
すべては需要と供給であり
相乗効果なのだ


そして明石家さんまは視聴者を笑顔にすること
このいたってシンプルな役割を
50年以上ぶれることなく
今もなお続けている

応援してくれているファンがいるからこそ今の自分がいる
そんなファンへの想いがあることがわかっているから益々応援して笑う
相乗効果なのだ

人を笑わせる人がいるからこそ
僕たちは笑うことができる

逆にいえば
笑うことができる僕たちがいるからこそ
笑いを与える職業の人たちも成り立っている

需要と供給であり
そこに上も下もない

職業に貴賤があるのではなく
人に心に貴賤があるだけで
人の心に上も下もない

 

 

伝えたいことがあれば文章を書くことに高度な技術なんて必要ない

「岡本、お前が社長になってから大変やなあ」と
明石家さんま吉本興業の岡本社長に言葉をかけたらしい
確かに吉本興業の社長を大崎元会長から岡本に変わってからは
闇営業問題や
何人かの芸人の不祥事などがあり
最近ではプラスマイナス岩橋の件など
会社としての対応も大変なことかと思う

そして現在裁判中の
ダウンタウン松本人志の件だ
早いもので休業して三か月以上が経つ

笑わせることを生業としている芸人たちが笑いができないという笑えない状態に陥っていく

この件は文春の記事を最初から詳しく真剣に読む気がしなかったな
A子からJ子まで誰が何をコメントして
誰がいつどの飲み会で何の被害を証言したとかもう
出来事の時系列や人間の相関図が覚えられないし
なんか面倒で読みたくもない
誰かがSNSで「アルファベット軍団」と名付けていたのには笑ってしまったが

どの証言も文春側がどれだけ省いたり追加したり表現を変えたりしているかわからない
取材記事なので仕方がないのかもしれないが読んでてもちっとも面白くない
当事者しかわからない事柄を第三者があーだこーだって言ったって何も始まらないじゃないか
法的に罪に相当するのかどうかなんて一般人に判断つかないし
それぞれが自分の主観のもとに判断するだけだ


需要があるから読まれるのか
衝撃記事を供給すれば需要が増えるのかわからないが
楽しくもないし笑えもしないし
感動もない

記者は何を思って何を目的に書いているのだろう
いっそのこと
「衝撃的に煽情的に書かないと編集部からOKが出ないんですよ
だから多少の切り取りも誇張や嘘も仕方がないんですよ」
とはっきり言ってくれたほうがわかりやすい
「生活のためには不本意でも書かなくてはならないんですよ」と言ってくれないか
でないと人のスキャンダルを書くモチベーションが理解できないからだ

ああいった記事を自分が愛する人に読んでもらおうと思えるものだろうか
自分の子供に読んでもらいたいと思えるものだろうか


セクシー女優「霜月るな」のSNSコメントが話題になっていたが
僕にはこの方の文章が一番わかりやすく一番すっと入ってきた
事実関係の正確性や真偽は僕らには確かめようがないが
伝えたいことがいたってシンプルなんだ

自分の想いを語っているだけだ
自分の知っていること
自分が記憶していること
自分が関わったこと
自分が会った人だけのことだけを語っているだけだからだ

そして松本人志のことを芸人として好きで
たくさん笑わせてもらった
だから早く戻ってきてほしい

それを語っているだけだ

いろんな誹謗中傷があるだろうに
勇敢な女性だと思う

取材依頼も断っているという
切り取り記事にされたり
言ったことと違う内容にされたくないからだという

言いたいことと
伝えたいことがあれば
必ず伝わるんだ

文章が稚拙でも
難解な表現などしなくても
伝えたいこと
表現したいことがあれば
文章を書くことに高度な技術なんて必要ない



今まで不勉強ながらこの方を知らなかったが
是非この人のビデオを鑑賞したいと思う

これはエッチな気持ちで見るのはなく
あくまで勇敢な行動に敬意を表してなので
あしからず

 

 

誰か僕に名前をくれよ・・・アリクイの哀しみ

明石家さんまがラジオで言っていた

「アリクイはかわいそうやねん。パンダやコアラ、猫や犬など他の動物はちゃんとした固有の動物名があるのにアリクイは行動が名前になってんねん」

当たり前のことというか普通のことを言っているだけかもしれないが、僕はよくよく考えたこともなかった

確かにアリクイは、アリやシロアリを食べることからアリクイと名付けられ、英語でもアントイーター(anteater)と呼び、日本名と同じくアリを食することからの命名みたいだ
何か他のピッタリな学名はなかったのだろうか
ハエを食べていたら「ハエクイ」
ミミズを食べるのなら{ミミズクイ」にでもなっていたのだろうか

その他の動物だと「ナマケモノ」もそうだ
そのゆっくりとした動作から「怠け者」という呼び名がつき、英語名の Sloth も同じく、怠惰やものぐさを意味するらしい
英語名に準じて日本語の学名をつけたのだろうか

アホウドリ」は人間が接近しても地面での動きが緩怠で、捕殺が容易だったことに由来するらしい
「阿呆」が由来だもんな・・かわいそう

学術的な根拠や命名に至る歴史はよくわからないが、なんか不憫なものだ

いずれにせよ明石家さんまが言うように名前にオリジナル性がないというのは気の毒だ


明石家さんまは独特の視点で物事を見て発言したりする
名言が多いのは平面的に物事を単純に捉えるのではなく
裏から表から上から下から外から中からと立体的に物事を見るからだ

笑いに関しての発想や視点という点では
ビートたけしダウンタウン松本人志の才能を取り上げられることが多いが
さんまの視点と発想も秀逸ではないかと思っている

ギャグやキャラクターがわかりやすいものが多いため
シュールに感じないし本人の明るいキャラクターによって
センスや技術はかき消されてしまっている

漫画『ろくでなしBLUES』(森田まさのり)において「手のひらを上に向けて舌を出す」ポーズがあるが
これは元々のルーツは明石家さんまが編み出したツッコミだ

とるに足らないボケに対していちいち拾っていろんなフレーズでつっこむことが邪魔くさいときに使用するために考え出したという
ボケをスルーもせず、たとえ丁寧にツッコんでもたいした笑いにならないと見込んだ時に使用して
会話のリズムと間を崩さずに展開できる一つの発明だ


バツイチ』『エッチ』などの言葉を定着させたのも明石家さんま

明石家さんまのギャグは子供も真似しやすく
単純でシンプルなものが多いため
あまり技術や発想で語られることは少ないが
技術に見せない技術の凄さがある