さんまのチカラ

今までの人生で辛いことがあった時に 少しでも笑いたくて憧れて追いかけてきた

目に見えるものは脳が見えるものと見えないものを区別しているだけ

 

「目に映る映像は視神経を通じて脳で映像処理をするので、必ずしも見えるものをすべて把握しているわけではない。脳で見えるものと見えないものを区別しているにすぎない」

 

30年以上前に養老孟司(医学者・解剖学者・東京大学名誉教授・医学博士)の新聞コラムに掲載されていた
資料が残っていないし、検索でも探せなかったので内容はうろ覚えなので文章は不正確かもしれないが、内容はこんな感じだったと覚えている
養老孟司の『バカの壁』がベストセラーになるずっと前のコラムだ

 

最初読んだときは一体何を言っているのかさっぱりわからなかった
目に見えるものは目に見えるもので
それがすべてではないのか?
霊魂や魂のようなことを言っているのか?

目から入った情報は視神経を通して脳の後頭葉で処理している
情報は脳が映像として処理をしているので
「見えたもの」と「見えないもの」というか
「見えたことにしたもの」と「見えなかったことにしたもの」に脳が区別して処理しているのだろうか?

目から入った情報は大脳皮質のいちばん後ろの後頭葉に伝わるらしい
そして耳からの入力は側頭葉に入る
大脳皮質の端っこの場所に目からの刺激がやってきて、横のところに耳からの音が入ってくる・・らしい

大脳皮質ではさらに、一次、二次から高次の中枢へ送られ
そして目の網膜から一次視覚野に入ってくる入力は1割程度で
残り9割は脳の他の部分から来るらしい


なんのこっちゃ


つまり、目はただの窓に過ぎず
脳で「見たもの」を整理して区別して構成しているらしい


さらに、なんのこっちゃだ


素人の僕には難しく
僕の稚拙な文章では
医学的に正確に説明ができない


考えてみれば
音も声も匂いも感情も目には見えない
耳と鼻という器官が役目を果たす
では感情は何で感じるのだろうか

その人の脳が残りを埋めているということは
目に見えている世界は自分だけの世界ということだろうか

笑いにも
目で見る笑い
耳で聞く笑い
それが融合して笑いが構成される

情報を自分の脳内で埋めて笑っている

見えた対象が面白いと思うのが1割
残り9割は自分の脳内で補完して笑っているのだろうか

芸人には笑わせる能力があるからこそ芸人だ

笑わせる能力とは違う
笑う能力が自分たちにはあるということだ

脳が笑うのか
口が笑うのか
心が笑うのか
医学的にはわからないが

笑っていることには変わりがない
そして
芸人を見て笑うことに限らず
友達同士
家族で
誰でもいい

身近にいるあなたの近くで
笑えることがあるのなら
それが
あなたの目と脳に
見えているものだ

その笑いはあなたの脳の中で
構成されているものだ


そのことが何よりも素晴らしい