さんまのチカラ

今までの人生で辛いことがあった時に 少しでも笑いたくて憧れて追いかけてきた

認知症は笑えるのか(祖父はさんまの笑いの原点)

 

笑いは共感と共有の空間の中にしか
生まれない


明石家さんまの笑いの原点は祖父だ
さんまとさんまの兄と祖父の三人は三バカトリオとして地元では有名だったらしく
「辛いときは笑え」というさんまの軸となる姿勢はこの祖父の影響が大きい

祖父はとにかくふざけることが好きだったらしく
物事を面白がって笑うことが大好きな人だったようだ

しかし祖父は晩年は認知症となり
ポットに話しかけたり
部屋に貼ってあるさんまのポスターを見て
「高文!そんなところに立っとらんと入ってこい!」と
話しかけたり
商店街の眼鏡屋に通って病院と思い込んで視力検査をやっていた・・など

認知症の症状と思われる行動が多発したらしい

さんまは笑い話にしているが
実際には家族は大変だったんではないかと思う

 

調べてみると認知症は主に

アルツハイマー認知症
脳血管型認知症
レビー小体型認知症

などがあるらしい


認知症の対応に「バリデーション」という手法がある

徘徊や暴言・大声、一見つじつまが合わないような言動などに対して
「すべてに意味がある」ととらえて接することを意味する

僕が感じるのは
この手法は認知症の対応に限らず
普段の人とのコミュニケーションにも
当てはまるということだ

相手を一人の人間として接して
寄り添うことの大切さだ

 

その手法をいくつかピックアップすると

「リフレージング」
会話の中で相手の話から重要と思われる言葉を拾い、相づちのように相手に対して繰り返し言うこと

例えば「そのとき子供が〇〇と言ったのよ」という言葉に対しては
「お子さんが〇〇と言っていたんですね」などと返答する

声のトーンや大きさ・話すスピードを相手に合わせて
キーワードを繰り返すことで、認知症の方も「自分の話を理解してくれている」という安心感を得ることができる

「オープンクエスチョン」
「オープンクエスチョン」は自分の言葉で自由に答える質問
逆に「はい」「いいえ」の二択で答える質問を「クローズドクエスチョン(閉じられた質問)」という

オープンクエスチョンは認知症の方の発言や行動の理由がとらえにくいときや、希望を聞きたいときに使用して聞き取りやすくする
ただし、言葉の選択・状況の把握などが必要になり、回答が難しくなる。
そのため質問をする際には「誰と行かれたのですか?」「いつされたのですか?」など5W1Hを用いて答えの範囲をある程度限定するといった工夫が必要
また「なぜ?」という質問は漠然とし過ぎていて答えに困ったり、何度も「なぜ?」と繰り返されることで責められていると感じてしまったりするので注意が必要

「レミニシング」
本人が話す過去の話題などに対して質問することで、本人にその出来事を話してもらう方法
繰り返し話している過去の出来事は、本人にとって重要な指針や感情、本人の中で未解決の感情と深く関わっている可能性があるため、それを語ってもらうことで本人の理解や感情の共有につながることがある

ミラーリング
言葉による意思疎通が困難になっている場合に、本人の動作や感情を真似る手法
名前の通り、鏡のように本人と向き合って行う
認知症の方が笑顔を見せたり、ため息をついたり、立ち上がったりといったタイミングで同じように行動することで、認知症の方は「感情を共有できている」と感じ、孤独感や不安を軽減する効果がある

ただし、症状の度合いによっては「ばかにされている」と感じる恐れがあるため、活用するタイミングに注意が必要

「アイコンタクト」
高齢になると、認知機能・注意力の低下などにより「いま誰と話しているのか」が認識しにくい場合がある
アイコンタクトで「話を聞いていますよ」と態度で表す手法
相手が自分の話を聞いていると実感できることで、自分の話が受け入れられているという安心感にもつながる

「タッチング」
話の内容や目的に応じて、相手を安心させるように肩や腕をなでたり、頬をなでたり、頭頂部から後頭部にかけてなでたりする手法
ただし、ボディタッチのスキンシップに慣れていない日本では拒否反応を示す場合があるので注意が必要


言動や行動を否定ばかりするのではなくて
共感して寄り添って
少しずつ間違いを修正していくのがいいのだろう


しかし
自分の親族が同じ症状になった時に
はたして根気よく笑顔で対応なんてできるものだろうか
身近だからこそ苛立ちも増える

僕の母方の祖母は脳の病気の手術をして
言語能力が麻痺してしまい
唸るだけになってしまった
僕は子供ながらその姿を見るのが怖かった
違う人間になってしまったような気がした

父方の祖母は認知症なのかよくわからないが
えらくわがままになり
人が変わったように
きつく怒って話すような人に変わってしまった
祖父を支え家を守り
七人の子供を育てきた
いつもニコニコ笑って
口数は少なく
出しゃばることはなかったし
怒っているところなど見たこともなかった

それが
「あれが食べたい」
「あれを持ってきて」
「これはイヤだ」
と何もかもはっきり主張するようになった
親族は我慢していたのかもしれないが
それでも普通に相手をしてお世話をしていた
みんな凄いな

老いと病気と死は
すぐそばに
すぐ近くに
昔も今も当たり前のようにある

若い時は考えもしなかった
ぼんやり想像するだけでしかなかった

明石家さんまのことは
子供のころから好きだったが
年齢を重ねるたびに
さんまの元気と笑いを
渇望するようになってきた

それだけ自分が老いに近づき
疲れているからなのだろうか

笑いはNK細胞を活性化する効果があるらしい

認知症の人が身近にいる家庭の人には
「簡単に言うな」と
叱られるかもしれないが
少しだけでも寄り添うことが出来て
少しだけでもそこに笑いが生まれたら
いいなと思う



笑いは共感と共有の空間の中にしか
生まれない