さんまのチカラ

今までの人生で辛いことがあった時に 少しでも笑いたくて憧れて追いかけてきた

絶対音感ならぬ「絶対笑感」


絶対音感
音楽的に有益的で
有効にはたらく才能ではあるが
苦しみや悩みも多いという

絶対音感』(最相葉月著)を読んだときに
自分にはわからない聴覚の世界があることに
驚きを覚えた

絶対音感のスイッチが入ってしまうと
生活音すべてがドレミファ音階で聞こえる

外を走る車の音や
サイレンや扉の音
家電が出す音も
音階で聞こえてしまう 等

音が正確に判別できることは
決して快適な暮らしができるわけではないらしい


小室哲哉は不調和なリズムを聴くと
吐き気をもよおすこともあるらしい

モスキート音のように
年齢によって聞き分けることができなくなる音もある

自分が聞こえている音が
他の人にもまったく同じように
聞こえているわけではないようだ

ドリカムの吉田美和曰く
一音と一音の間には
楽譜には書き起こせない
細かく分かれた微細な音の違いがあるらしい

聴こえない音の中に
音は鳴っているらしい


僕は音感にはまったく自信がない
ギターのチューニングでさえ音叉ではよくわからず
四苦八苦して、結局チューニングメーターで確認し直して
微調整することしかできなかった

複雑なコードなんて
自分で弾いていても細かな違いもよくわからなく
ただ雰囲気しかわからなかった

絶対音感ならぬ
絶対”笑”感というものがあるとしたら
どうなんだろう

笑いに絶対基準値なんて設定できるのだろうか?
楽譜のように構造化できるのだろうか

テンポや音量
会話のリズムと強弱
声の質
繰り返し
裏のビートを笑いの「間」とすれば
音楽と似たような構造もあるといえばある


しかし笑いとなると
好みに左右されることが多い
しかしそれは音楽も同じだ

 

生まれ育った国や地域によって
笑いのポイントは違うかもしれない
大阪と東京と比べれば違いはあるし
南国は自然と陽気な雰囲気があり
北国は寒くてかじかんで
あまり笑うどころではないのかもしれない
教育環境の格差が大きい国では
言葉の笑いにも格差があるのかもしれない

とにかく明るい安村”がイギリスでバカ受けだったように
国によって反応がまったく違ってくる

何百年と練りたおされてる落語
志ん生とかの名人芸の古典落語の笑いは
絶対笑感なのだろうか


基準音と比較して
音の高さを判断できる
相対音感ならぬ
相対”笑”感というものがあるとしたらどうだろう

さんまの真骨頂の雑談芸は
その場の話題の流れ
その場の雰囲気
メンバーや観客層によって
変わってくる

素人相手
芸人相手
タレント相手
それぞれその場にいる人のスキルを基準値として
その場のテーマに沿って
その場で出たワードやリアクションを広げて
笑いを作っていく

音をすりあわせて調整してくように
その場の音で笑いを作っていくので
相対笑感といえるのかもしれない

笑いの基準値などないだろうが
全世界共通なのは
赤ちゃんが母親の顔を見て
キャッキャッと笑うことだろうか

笑いの好みは人それぞれ
さんまの笑いは嫌いという人もいるだろう

ただこれだけ長く国民的人気を維持しているということは
笑いの最大公約数が大きいということだ


幅広い年齢層の耳に
心地よく響く
笑いという音を
鳴らすことができるということかもしれない