さんまのチカラ

今までの人生で辛いことがあった時に 少しでも笑いたくて憧れて追いかけてきた

松本人志の休業と文章のチカラ

 

文章や言葉には不思議とその人の心が立ち昇ってくるものだ
ジャーナリズムにせよ
評論にせよ
エッセイにせよ
対象になる人物や物事を語るのではなく
自分を語らなければならない

 

ダウンタウン松本人志が活動休止だそうだ
とうとうこんな展開になってしまった

僕は明石家さんまの大ファンだが
ダウンタウンも大好きだ
『4時ですよ〜だ』(毎日放送1987年4月‐1989年9月)は地域的に見ることはできなかったが
上岡龍太郎EXテレビにまだ若手のダウンタウンが出ていて
なんと肝の据わった不思議な若手が出てきたもんだと感心したのを記憶している
夢で逢えたら』から徐々に人気が出て同世代の「とんねるず」「ウッチャンナンチャン」の後塵を拝して全国区になってからはあっという間に天下をとった


腹の底から笑ったコントは『ダウンタウンのごっつええ感じ』のコントが圧倒的に多い
松本人志はコントの未開の地の多くを開拓してしまった
後から出てくる芸人たちは新しい土地を探して耕すことに相当苦労したと思う


M1の審査員の登場時に「漫才の歴史は彼以前、彼以後に分かれる」と紹介されるようにダウンタウンの漫才は革命だったし
松本人志の発想は革新的だった

今の芸人に比べると漫才のネタ数は少ないが
「職業」「誘拐」「クイズ」「『あ』研究家」など
完成度の高い物ばかりだ

ダウンタウンガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)で以前やっていたフリートークは即興漫才みたいなものだった
出来不出来の波はあったが、あの形式を毎週やっていたことには驚く

 

今回の松本人志の文春報道の真偽に僕はあまり興味がないが
もし何らかの被害を受けたとする当事者がいたとするのなら公正な立場からの判断においてのケアは必要だとは思う

言った言わないの水掛け論は不毛だし
人の記憶における証言ほど曖昧なものはない

みんな自分の都合が悪いことは言わなかったり言い方を変えたりする
僕自身も都合が悪いことはごまかしたり
嘘をついたりしたこともある卑怯な人間だ

そして何年も前の言葉の言い回しなど一語一句間違わず覚えているわけではないし
その場の流れやニュアンス、言った側と言われた側の受け止め方によって変わってくる
会話のやりとりにおいても
印象に残るワードだけが記憶に残ることもある

恐怖を味わい被害にあったとするのならそれは気の毒だと思うが
この社会では被害届けを出して刑事事件にするか
民事なら弁護士を通じて裁判で争うしかない

冷たく突き放すわけではないが、大人の社会はそうなんだ
交通事故にしろ他の業務における過失でも
詳細に状況証拠をあげて警察や司法に判断してもらうしか方法はない


法に触れる行為を世間に暴いて
それに伴う被害者や弱者を救うことは
マスコミの役目であり矜持だと思う


しかし芸能人の不倫をこっそり調べて暴いたり
異性関係のスキャンダルを追いかけ回してスクープだと声高らかに発信することもメディアの役目なのだろうか?

誰にも知られていない無名な人たちが
こんな素敵なことをやっています
みたいな記事は売れないんだろうな

 

家に帰って子供に「私はこういうスキャンダルを調べて書いて、世間に暴くことを仕事として毎日一生懸命に頑張ってるんだよ」と言えるものだろうか
もちろん職業に貴賤はないと思っているが
僕なら悩むところのような気がする

 

文章や言葉には不思議とその人の心が立ち昇ってくるものだ
ジャーナリズムにせよ
評論にせよ
エッセイにせよ
対象となる人物や物事を語るだけではなく
自分を語らなければ
おそらく人には響かないだろう
もちろん僕自身もえらそうなことは言えない


どれだけ社会正義に基づいて緻密な論理で構成された文章であっても

子供が覚えたての字で
間違った書き順で
間違った字で書いてあったとしても
一生懸命に書いた

「ママ大好き」
「パパ大好き」

の文章にはかなわない