割れた花瓶は繋げても二度と元と同じ状態には戻らへん。でも角度を変えれば見えなくなる(さんまの名言)
割れた花瓶は繋げても二度と元と同じ状態には戻らへん
でも角度を変えれば見えなくなる
新しい花瓶に買い替えるか割れた花瓶を使い続けるかは人それぞれやねん
確かラジオにおいて結婚・離婚など別れに関する話題においての発言だったと思う
明石家さんまの離婚に関する考え方が元になっているかと思われるが
僕がなるほどと思ったのは
割れたひびは角度を変えれば見えなくなるというところだ
割れたひびや傷はある程度の修復は可能だが
まったく元の通りに戻ることはない
修復して使い続けるのも一つの道
新しい花瓶に買い替えるのも一つの道
そして
傷は忘れることなく認識しつつも
角度を変えて見えないようにして
使い続けるというのも一つの捉え方だ
傷を見たくないのなら新しい花瓶に替えたほうがいいし
傷は過去の傷として受け入れて
普段の生活においてはあまり見ないようにして生きていくこともあるということだ
離婚の理由はみんなそれぞれで
夫婦によって千差万別だ
芸能ニュースにおいて
結婚は祝福モードでそれはそれで結構だが
離婚に関してああだこうだと詮索するのなんてほっとけよと思う
他人から見れば別れなくてもいいと思える理由でも
当事者にとっては我慢ならないこともある
逆に他人から見て何でそんなに大変な思いをしてまで別れずに一緒に暮らしているの?という夫婦もいる
昔から夫婦喧嘩は犬も食わぬものだし
夫婦にしかわからない空気感や嫌悪感や苛立ちがあり
逆に夫婦にしかわからない安堵感や楽しさや落ち着きや安心感があるものだ
結婚には結婚の素晴らしさがあり
独身には独身の楽しさがある
結婚していても寂しさに包まれる人もいれば
独身でも心豊かに過ごしている人もいるだろう
老夫婦が手をつなぎながらゆっくりとお互いを気遣いながら歩いているのは幸せな光景だ
一度出来た傷は癒えることもあるし
一生消えない傷もあるだろう
お互いがその傷に距離を置いて
傷を傷として過去の客観的事実として
冷静に受け入れることができるようになり復縁するという夫婦もある
二度と関わりたくないとか
顔も二度と見たくないとか
生理的に気持ち悪いとまでになり
離れてしまう夫婦もある
結婚というのは一つの制度でしかなく
制度が素晴らしいのではなく
夫婦二人が作り上げる生活が素晴らしいのだ
縁が離れて別々の道を歩くことになる場合もあるというだけだ
誰もが老いて死んでいくんだ
その人生の中で大半の時間を夫婦として寄り添いながら生活して幸せを感じることができるのなら何よりではないか
物質的な幸せはお金があれば買える
心の幸せはお金では買えない
投資をすれば手に入るものではない
コンクールに入賞すれば手に入るものでもない
出世したからといって
ビジネスで成功したからといって
真面目にコツコツ働いたからといって
必ずしも手に入れることができるという保証もない
物質的な幸せで心も全て満たされるというのであれば
それがその人の幸せだ
他人がどうのこうのと言うものでもない
幸せを共有できる人に巡り合えるのは
出会いと言う運なのか
出会いを探す能力なのか
出会いの先を育てる能力なのか
人生なんて理不尽でしかない
憲法的には人権は平等ではあるが
人生に平等という概念があるのかどうか疑問だ
最愛の人に出会う前に
結婚する前に
病気や事故で亡くなってしまう人たちだってたくさんいる
結局は自分を生きていくしかない
欲しいものなんてすべては手に入らない
幸せは手に入れるものではなく
感じることだ
きっと