さんまのチカラ

今までの人生で辛いことがあった時に 少しでも笑いたくて憧れて追いかけてきた

愛情と笑いには相続税はかからない


明石家さんま
どれだけ資産があるのか知らないが
亡くなった際には遺産は子供たちに残さないと言っている

お金が多くあることはもちろん悪いことではないし
経済的に不自由しないということはありがたいことだ
僕もたくさんお金が欲しい

僕は父親が死んだ際に会計士の人に相続税の対処を尋ねたことがある

相続税は一千万以下には発生しませんよ」と言われて
「ありゃ、そうなの?」とポカンとした

恥ずかしながら知らなかった
父親が死ぬまで考えたこともなかったからだ

実際は蓋を開けたら相続税どころか
借金が残っていただけだった

本人がこの世にもういない以上
残された親族が対処するしかない
幸いにもどうにもならないほどの額ではなかったので
母と二人で対応にあたった

でも不思議と怒りや恨みはなかった

父の仕事場を片付けている際に
机の引き出しの中から写真が一枚出てきた
僕の妹の子供の写真だ

つまり父にとっての初孫の写真だ
父は自営で下請け工場をしていて
コツコツ寡黙に仕事をするタイプだった
酒は一切飲まなかったが
ヘビースモーカーで
唯一の楽しみはパチンコだった

おそらくパチンコで出来てしまった借金だと思う

父は仕事場で一人で孫の写真を眺めていたのだろうか
それを想うと
涙が出てきた

お金に困っていても母親に言うこともできず
一人で抱えて苦しんでいたのかもしれない

それとも何とかなると開き直っていたのかもしれない

今となってはわからないが
困っていたのなら僕に相談してくれれば良かったのにとも思ったが
自分が逆の立場だったら息子に泣きを入れるなんてプライドが許さなかっただろうなと思う


僕の家庭はそんなに裕福ではなかったが
普通の暮らしはさせてもらったのではないかと思う

僕も妹も高い外食に連れて行ってもらった記憶は無いが
寿がきやのラーメンはよく連れていってもらったし
近くの喫茶店でたまにチョコレートパフェを食べさせてもらった
十分なご馳走だったし美味しかった

普通に学校に通わせてもらったし
妹は良き旦那さんに巡り合って
子供にも恵まれ
それなりに幸せに暮らしている


お金は欲しいし
たくさんあることにこしたことはない

お金があれば生活やトラブルの大体のことは解決できる
洋服・交通手段・飲食・遊び
全てにお金は必要であり
それが経済社会だ


でもお金では買えないものがある
きれいごとを言いたいわけではない

お金を払えば心から笑えることに出会えるとは限らない
心を許せる人に出会えるとは限らない
優しく温かい愛情をお金で買うことはできない

例えお金で家族を揃えることができたとしても
鬼滅の刃 那田蜘蛛山編』における
十二鬼月の累の家族のように
空虚なものになる

愛情で繋がっているはずの本当の家族でさえ
お金の問題で骨肉の争いに発展してしまうこともある

お金は生きていくうえで間違いなく必要なツールだ
愛情と笑いも生きていく上で必要だ
必要不可欠ではないのかもしれないが
愛情と笑いがあれば
心は豊かにきっとなる


明石家さんまは災害などあった際に何らかの寄附をおそらくしている
ラジオでそれらしきことを言っていた
具体的に何をしたのかは一切公言してはいない

イラク戦争時における政府の国家予算の拠出に不満を持ち
「俺はこんな戦争のために、こんなに税金を払いたない」と言ったら
税務署の担当は
「それは税務署の管轄ではないのでもっと上の政府に言ってください」と言われたという

もちろん半分はネタだとは思うが
ビートたけしと違い
政治的な事は明石家さんまはほとんど言及しない
多少話したとしても必ず笑いに変換する


人生において死ぬときには最終的にチャラになるというのが基本的な考えみたいだ

寿命も人それぞれ違う
幼く病気や事故で亡くなってしまう子
100歳ぐらいまで長寿な人生を全うする人
眠るように安らかに息を引き取る人
もがき苦しみながら息絶えてしまう人
災害で命を失う人
戦争で亡くなってしまう人
自分が死んでしまうと予期する間もなく事故で即死してしまう人

生まれ方は通常分娩か帝王切開の違いだけだが
死に方は様々だ

僕は死ぬことが怖いというより
死に伴う苦痛が怖い
眠るように朝に静かに死んでいたというのが理想だがこればっかりはどうにもならない
明日にはもしかしたら突然死しているかもしれない
友人や知り合いの中でも朝家族が起こしにいったら亡くなっていたという人が数人いる


なぜあの人達は死んでしまい
なぜ僕はまだ生きているのだろうか
何か役目があるのだろうか
生かされているのだろうか
生きたいと思っているのだろうか
生きようと思っているのだろうか


毎朝通勤の際に街の中の人を眺めるのが癖になってしまった
コンビニで毎朝買い物をする人
コンビニ店内で朝食をとる人
数少ない喫煙場所で煙草を吸う人
そして半数以上がスマホを見ている
電車内ではほとんどがスマホを見ている
みんな何をやっているのだろう
SNS・ゲーム・動画・音楽などか

隙間時間を埋めるツールは十分増えた
もちろんそんな自分もスマホを見ている

どれだけ科学が進歩しても
AIが発達しても
愛情はコーヒーメーカーのようにボタン一つで出てくるわけではない

愛情と笑いは人間であることの砦だ

誰かから愛情と笑顔をもらったのなら
誰かに愛情を注ぎたい
誰かに笑顔で接したい


愛情と笑いには
相続税はかからない