さんまのチカラ

今までの人生で辛いことがあった時に 少しでも笑いたくて憧れて追いかけてきた

書き言葉の笑いと喋り言葉の笑いは違うで

 

このブログで明石家さんまと多数の芸人たちとのパターン芸
俗にいう「明石家定食」を文章で表現したいのだが
そのまま書き起こしても
ちっとも面白さを表現できない
もちろん僕の筆力の無さが原因なのだが・・

「書き言葉の笑いと喋る言葉の笑いは違うで」とさんまが言うように

読んで面白いもの
聞いて面白いもの
見て面白いもの
見て聞いて面白いもの

全部違うものだということを実感する

実際に明石家さんま
ラジオの『ヤングタウン』ではテレビとは違う技法とテンポで喋っている

映像の笑いは表情や動きも表現できるので立体的に表現できる
逆に動きや表情に逃げてごまかすこともできる面もある

ただラジオにおいては声だけだ
緩急もリズムも声だけで表現しなくてはならない
お客の耳だけに訴えて
想像力を掻き立てる喋りをしなくてはならない
無音では放送事故になってしまう
かましすぎてもダメだ
飽きさせない喋りをしなくてはならない

多くの芸人がラジオのレギュラーを大切にする理由がよくわかる
一番鍛えられる現場だからではないだろうか


子供のころからギャグマンガやテレビのお笑い番組でたくさん笑ってきたが
文字だけの文章を読んで
初めて思わず声に出して笑ってしまったのが
中島らも』の文章だった

中島らもの明るい悩み相談室』(朝日新聞社)というのが昔あって
子供の質問や悩みにユーモアを交えて回答するものだ

子供が読むものなので当然難解な解説や言葉は出てこない
答えを出さなくてはならないうえに
読者が読んで面白いものにしなくてはならない
今思えば相当な技術だった

その中島らもは2004年に亡くなっている

コントの脚本、芝居の脚本と演者
バンド活動
エッセイや小説
落語の台本 など
豊かな才能を持つ人だった

そしてアルコール中毒躁鬱病
肉体的にも精神的にも
自分の体と心のギリギリのところで
破滅と快楽を具現した人だった

 

 

このブログを書いていて
つくづく自分の文章力の無さを実感する
情報を整理して順序だてて書くことも難しいし
笑えてくるような楽しい話も文章にして上手く表現できない


心を込めて書いたつもりでも
文字にすると
なにか取り繕っているようで
偽善者のようで
嘘をついてしまっている気分になる


人を楽しませたり
人を笑わせたりできる人が本当にうらやましく思う

 


原作は同じものでも
マンガ・アニメ・映画・朗読劇・舞台劇
すべて違うものであり
違う表現技術が必要になってくる


そして物書きにしろ
喋り手にしろ
みんなプロは凄いなと思う


そしてどんな業種でも
物を作ったり
サービスを提供したりする
お金を対価にすれば
みんなプロだ


自分はちゃんとプロになれているだろうか