さんまのチカラ

今までの人生で辛いことがあった時に 少しでも笑いたくて憧れて追いかけてきた

負の感情が連鎖するのなら笑いも愛情も連鎖するはずだ

 

幼少期に虐待を受けた経験があると自分の子供にも同じ虐待を無意識にしてしまうことは7割もあるらしい

自分が受けたゆがんだ愛情
自分が浴びせられた負の感情を
我が子にも繰り返して連鎖させてしまうのはなぜなのだろうか

親に怒られてばかりで育つと自分の子供にも怒ってばかりで接してしまうのだろうか

ということは笑いに包まれた親子関係で育ったのであれば
自分の子供との関係も笑いに包まれたものになるのだろうか

僕は子供が出来なかったので
子を持つ親の気持ちは実感できないが
同じ家庭環境に育った妹が自分の子供に接する態度を見ていると
違和感もないので、自分も同じような感じで接するのだろうなと想像することしかできない
普通に怒って普通に笑って過ごすような気がする
まあ、その普通というのが一番厄介な基準ではあるが


思い起こせば子供の頃は両親の夫婦喧嘩の声を聞くだけでも怖かった
逆に笑い合っている姿は物凄く安心した気持ちだったのは覚えている

笑顔で会話をして時には大笑いし合う光景はよいものだ
他人の家族でもそういった楽しそうな光景は見ていていいものだ
その光景にもし腹がたったり疎ましくなったり
羨ましく思うのであれば
自分がそういった安らぎに枯渇して
つい妬んでしまうからだろう
それか自分の心にすべてに余裕がない時だろうか


ということは幼少期から存分に愛情を与えられてばかりで育つと
自分の子供ができたときにも存分に愛情を注ぐようになる場合が多いということだろうか

負の連鎖があるのであれば
明るさの連鎖もあるのではないか
笑いの連鎖もあるのではないか
愛情の連鎖もあるのではないか


職場で先輩に何度も食事を奢ってもらい御馳走になっていれば
自分の後輩にも奢るようになる
先輩にしてもらった行為と好意は
下の後輩に自分が同じことをしていく
しつけや教育は伝統として育っていく

若い時に年上の知り合いにご飯をご馳走になった際に
「次は自分がご馳走します」と言ったら
「いや、私に奢るのではなくて、自分の後輩に奢ってあげな。それが順番や」と言われ
ああ、こういうふうに教えられていくのだなと勉強になった

68歳になった明石家さんまは今も松之助師匠からの教えは忘れてはいない
 先輩には敬語、ため口はするな
 芸人は給料明細を見るな
 雑談を芸に出来たら一流や

感謝の想いも謙虚な姿勢も連鎖して受け継がれていく

そして
笑いも笑顔も連鎖して受け継がれていく

自分が好きな女の子の笑顔ほど素敵なものはない
もうこの世の天使に見える

しかし別の男性に向ける素敵な笑顔を見た時には
寂しさと嫉妬が芽生えてきてしまう

笑顔も恋愛感情が関係するとやっかいなものだ


負の感情の連鎖は無くなるのが一番いいのだが
それは無理としても
負の感情の連鎖を上回る
明るさと優しさと感謝と笑いの連鎖が
繋がっていけば
きっと大丈夫だ

上手くいく