さんまのチカラ

今までの人生で辛いことがあった時に 少しでも笑いたくて憧れて追いかけてきた

不適切な言葉や表現があるのなら、適切な言葉や表現とは一体なんだ

 

不適切とは一体なんだろうか

逆に適切な表現とはなんだろうか

誰が基準を決めるのか
クレームがあったらすべて不適切なんだろうか
クレームを恐れて表現を変えたりすることは表現として適切なのか

その人に差別する心があったとしても適切な表現と判断されればOKなのだろうか

人の心に差別心というのは多かれ少なかれ必ずあって
無くなることはないと思うが
問題が起きそうだからと曖昧にして触れないようにしていっているだけなような気がしてならない

表現に蓋をして
意図しない表現に変えて
適切な表現とするのは
果たして「表現」なのだろうか

不適切とは「適切ではない」ということだ
それならば「適切」の定義が確固たるものでなければならないはずだ

テレビにおける放送禁止用語や不適切に相当するかどうかの判断は
「放送現場の倫理に関する委員会」が規定するものに準拠するらしいが
放送禁止用語なんてもう増えすぎて覚えきれないのではないか

差別も人権侵害も雇用格差も今まで消えたことなどない
日本だってほんの数百年前まで士農工商身分制度があり
その下とされる穢多・非人もあり
それは部落問題として残った

今はもうあまり聞かないようになったのかもしれないが
僕らの若い頃はまだ囁かれていて
それによって結婚も破談になった話も聞いた
友人も在日問題で就職できなかった大手企業があった

差別をあらわにすれば良いということではない
それによって傷つく人がいるのなら慎重にならなければならない
ただ、曖昧にして見なかったこと聞かなかったことにして
ごまかした表現で果たしていいのかということだ

僕たちが小学生の頃は教科書に普通にのっていた
士農工商」「穢多・非人」も現在はテレビにおいて放送禁止用語みたいだ
名称・通称・俗称の言葉であり単語であり言葉に罪はない
使い方と使う人の心に差別があるだけではないのか


身体的事象を表現する言葉や民俗文化の歴史を封印していってるだけだ
もちろん時代が変われば新しい言語が生まれ
消えていく言語はある

昔の純文学のほうがよっぽど性愛や恨みや怨念、差別問題を扱った作品は多い
ドラマや映画などでは原作に忠実なセリフなどもう書けないのだろうか

人を傷つける笑いとはどんなもので
やさしい笑いとはどんなものだろう

綾小路きみまろのネタなんて高齢者のおじさんおばさんをいじるネタであんなに集客できるのに
今の時代ではテレビではもう無理なのだろうか

笑いは面白いか面白くないかの違いだけではないのか
そこにそれぞれ笑いの好みがあるだけではないのか

僕も明石家さんまの笑いは好きだが
大好きな笑いもあれば
それほどピンとこない笑いもある
世の中には嫌いという人もいるだろう

罰ゲームなどでリアクション芸で笑いをとる芸人もいるが
痛みを想像すると笑えないものもあるので
あまり見たくないものもある

笑いに限らず音楽・食べ物・服装・車・家屋・植物・動物など
みんな好みがある
人間生活なんて基本は好き嫌いで生きているものだ

 

『不適切にもほどがある!』(TBS系)は、制約の中での
アンチテーゼとしてのアイデアが素晴らしい

僕たち昭和に青春時代を過ごした世代には懐かしい場面ばかりだ
そういえば「チョメチョメ」ってテレビで山城新伍がよく言っていた

いっそのこと不適切な言葉は全部「チョメチョメ」と言って
視聴者に想像してもらえばいいのではないかとまで思ってしまう

となると「チョメチョメ」までもが不適切とされ
放送禁止用語になったりして、、